太陽が東へ沈むまで

毎日新しいこと発見。ネガティビスト脱却宣言。好きなものは全部繋がっていくと信じている凡社会人1年目がお送りします。

子より先に死ぬ貴方達を想う

ふと、気を抜くと死への強迫観念が頭の中を駆け巡る。少し左胸がキュッとしたり、頭痛がしたりすると、「おっ死ぬか?」なんて考えることが増えた。まだ死んだ先の予定を立てていないので困るなあ、と思いながら無事生きていることに感謝する。そう簡単に人は死なない。外部と接触していない場合は。

 

俺は今年で25になる。気づけば、成人して5年だ。アラサーという言葉を他人行儀で使っていたのが、自分に跳ね返ってくる。とはいえ、平均寿命を考えれば、あと50年くらい、25年の人生をもうふた回りできるだろうと、考えるのは簡単だが少し思い描いている側面はある。だから、死後の予定なんて立ててられるか、である。絶対的自信はないが、まあまだ生き続けるんだろうという漠然とした気持ち。本当は日々死ぬか生きるか綱渡りしてるようなものなのに。

 

さて、親のことを考える。両親は去年共に還暦を過ぎた。割と長生きの家系ではあるが、それでも20年病棟のベッドに臥すことなく健康に生きられたら十分だろう。もしかするとカウントダウンは始まっているかもしれない。65で死ぬとしたら、あと5年だ。70としても、10年。ゾワッとした感覚。死は身近にある。数字以上に短い期間だと、つくづく思う。観たい映画や本、聴きたい音楽を後回しにする心理は、「まだ生きている」という前提の下で表れる。余命1ヶ月と言われたら、片っ端からやりたいことをやるはずだ。確実に明日の朝が来る保証などない。と言いながら、来るだろと思う自分もいる…。

 

あと5年、10年、親に何をしてあげられるのだろう。この世界に産んでくれた恩返しとは、何だろう。孫の顔を見せることか、美味しい酒を一緒に酌み交わすことか、俺が自立して幸せに暮らすことか…。ポンとこの世に現れたのは「何のため?」なんて考えるヒマはない。産んでくれた人が必ずどこかにいるのだ。貴方達のために、産まれてきたはずなのだ。やれることは今すぐやっていこう。