太陽が東へ沈むまで

毎日新しいこと発見。ネガティビスト脱却宣言。好きなものは全部繋がっていくと信じている凡社会人1年目がお送りします。

ひとりは嫌だけどひとりになりたいとき行く居酒屋に来る人の話

俺は酒飲みだ。事あるごとに、なんとか祝いと理由をつけて飲みたがるタイプの上司になりそうなタイプであることは自覚している。

 

大学のサークル打ち上げなどの、大勢で飲むカタルシスを味わうとひとりで飲むのは味気なく感じる。一気飲みはこのご時世NGだが、やはり盛り上がる。各テーブルで騒ぎ、周りを巻き込みゲロとともにフィニッシュする様は、これがグルーヴかと舌を巻くほどである。ついでにクダを巻く酔っ払いは俺は嫌いではない。普段のストレスを酔っ払いにぶつけられる。酔っ払いが酔っ払いに意地悪をする構図。あ、思い出した。出くわしたことはないが、ゲロする前提でテーブル毎にバケツを置いてあるサークルもあるらしい。衛生上よろしくないと同時に、嗅覚がなくなる酔っ払いらしい対応策だと思った。家でやれもう。

 

話が少し逸れた。書きたかったことはこれじゃない。行き当たりばったりで書いているので構成の不備はお許しを。徒然なるままに、の精神です。

居酒屋と酒については一家言を持つことで有名な俺。まあそれは後日改めて書くとするとして、今日は、居酒屋でこの記事を書いている。ひとり飲みである。ひとりには慣れている。オンリーロンリーグローリーだから、ロンリーでありつつグローリーにオンリー居酒屋を楽しむことができる。オンリーロンリーグローリーとは、かの有名な哲学者・藤原基央が世に提示した言葉ということを補足しておきたい。

さて、行きつけの居酒屋、といってもカウンターに座ることはない。座敷は個室だが、テーブル席は半個室のようになっていて、店の人に干渉されない絶好のスペースが確保されている。言っておくと、俺はカウンター派である。他人を寄せつけない雰囲気を醸し出しながら結構横に座った人と喋る。ギャップ萌え、である。だがこの店ではカウンターを避ける。半個室でひとりになりたいときに使う店として認識している。家で飲むのは寂しいから、ひとりは嫌だがひとりになりたいとき用の店だ。

 

今日は数ヶ月ぶりにお邪魔した。俺は店員の顔を覚えているが、彼女らは覚えているのだろうか。注文以外喋ったことないから分からねえ。さあ、ここから記事の内容は尻つぼみになってゆく。本題に入る前に飽きてきた。

前回来たとき、何組かの客が来ていた。先客だから、顔は分からない。声でどんな人か判断する他ない。ただ、居酒屋なんて一期一会、知らない人ばかりで余程特徴のある人しか覚えてないものだ。酒入ってるし。しかし俺はそのとき忘れられない声を聞いてしまった!英語で会話をしている2人組がいたのだ。日本にいるのに日本語が聞こえない、そんなことがあろうか。全編英語で、おじさんと思わしき外国人と日本人のペアが喋っている。very goodとwhat did you say?しか聞き取れない。「ヤマブドウ」が理解できず質問したようだった。

そしてもう1組。発声機能を失い、人工咽頭機械的な声)で会話をしている人がいた。奥様か同僚か、女性と来ているようだった。俺は、初めて人口咽頭の声を生で聞いた。どんな人かは知らないが、機械的な声が聞こえる。ある種の異物と言ってもいいかもしれない。でも、不思議と違和感はなかった。でも、凄く気になる。

 

そして、だ。今日もこの2組がいた!なんということでしょう。知ってるー!と、声を出してそれぞれに握手したいくらい、気分は昂ぶっていた。気分はリオカーニバルである。タイムリープしているんじゃなかろうか、というほど席も一緒で、ただ自分が頼んだ料理は違うからタイムリープではないことが分かり肩を落とした。

毎日通えば彼らの生態が分かるかもしれない。個性的な彼らの声を聞きながら、没個性を地で行く俺がブログに書く、この行動こそが没個性だとやや気づきつつ。