太陽が東へ沈むまで

毎日新しいこと発見。ネガティビスト脱却宣言。好きなものは全部繋がっていくと信じている凡社会人1年目がお送りします。

他人のレビューが一番面白いが情報デブになってはならない

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じゃねえんだよ。Feedlyステマしたいわけじゃねえのよ。なんだこの雑な茶番。

 

音楽を聴いて楽しむにあたって音以外に重要な要素があると思っていて、その一つが「他人のレビューを見ること」。これは他のことでも言えるんですけど。自分と同じ考えだと共感できて、批判的な文章であれ面白い。同じ音楽を聴いているという共通項があると、親近感がわきますよね。ある種の仲間意識。自分だったら絶対気づかないような視点から論じたレビューもあって、一度調べ出したらやめられない。

中華に汚染されたアマゾンレビューでさえ、ハッとさせられる情報があってあなどれない。ありきたりな雑誌レビューなんかに載るわけない、マイナーなバンドのアルバム制作に至るまでの過程とか。最近だと、何回もリリースの噂がありつつも頓挫していたSteve Perryの新譜、何故彼が10数年間アルバムを出さなかったかアマゾンレビューで触れられていて興味深かった。一旦デモをサイトに発表したけど評判良くなくて白紙に戻したなんて情報、追っかけじゃないと把握してません。

信頼できる筋ではないけど、いろんなところに原石がごろごろ落ちているのがよく分かる。

でさ、レビューは映画にしろ本にしろ何にしろ面白いわけ。バーで出てくる乾き物みたいに、一度食べ出したら止まらないわけ。

でもそれってさ、読むだけじゃないですか。脳に直接聞いたことないから分からないけど、脳は喜んでる、間違いなく。何らかの快楽成分を分泌しているはず。ただ、それはインプットに過ぎないんですよ。インプットとアウトプットどちらが大事かっていうと3:7の割合でアウトプットが重要だって言われてる。今俺もアウトプットしている状態です。

内に吸収して外に還元する、この一連の流れによって知識は蓄えられていくんですね。読んだり観たり聴いたりして考える、思う、感じる、その後書き残すでもいいし誰かに伝えるでもいいし、何らかの形で気持ちを言葉にすることが一番自身に定着させるために必要な過程。

そう考えると、他人のレビューは面白いけども、弊害も大きいのではないかと思ったんです。思考の低下。ツイッターでバズったネタツイもそう。使い捨てみたいなもんじゃないですか。見て笑って、終わり。昨日笑ったネタツイ覚えてる?と聞いて答えられる人が何人いるか。流れ作業のように他人から溢れ出たものを見て、特に考えることもせず、脳を喜ばせるツールとして利用する。これは由々しき事態ではないか?

 

教育について研究しているので教育的な視点から言うと、先日共通テストの第2回プレテストが高2高3を対象に実施されました。ちなみにこのテストはセンター試験の代わりに新たに使用しようとする試み。数学以外はほぼマーク式、選択式であった従来のセンター試験に比べ、記述問題も含めていくことで話題にもなりました。この共通テストの第1回?(曖昧なので後日確認します)プレテストでは、国語の記述正答率がかなり低かったという話も聞きました。

記述って、完璧な答えなんてないと思うんですね。ある程度意見を汲み取る、までしかできない。作者の気持ちが分かるなら日常生活で苦労しない。模範解答も本当に模範なのか?と思う。この乖離も国語科の問題点ではあるんですが、記述を書いたか白紙で出したか、この部分も大学入試センターには公表してもらいたかった。書いて不正解と書かずに不正解は大きな違いがある。考えたか、考えなかったかってこと。考えたけど文章に出来なかった〜ってなるとまた1つの問題になって延々まとまらねー。記述力の低下の原因にネット社会の影響も多分にあると感じます。文通の時代とラインの時代。便箋に一言書いて渡しますか?ラインで長文書きますか?どう思われますか?児童生徒の資質というよりは、成長過程に伴うツールの変化で幾ばくかの差はあると思うけど、調査結果見なきゃ分からないところではある。

 

話が飛躍しすぎた気がするのでこの辺で。そこまでレビューごときで真剣に考えるこたあないだろうと思いますが、結構根深い問題だと思うよ。インプット過多の時代だからこそ、いかに取捨選択して脂肪の少ない有益な情報を得るか。そしてそれを筋肉やエネルギーに変えられるか。