太陽が東へ沈むまで

毎日新しいこと発見。ネガティビスト脱却宣言。好きなものは全部繋がっていくと信じている凡社会人1年目がお送りします。

奇声にバリエーションは必要か

必要である。

 

俺はアパートに住んでいるが、別々の物件が3棟ほど密集している。ベランダに出れば前は風呂場の窓、右を除けばリビングが見える、あまり人と人の隔たりとしての空間の意味を成さない場所。

 

その右のお隣さんの部屋からと思われる、奇声。ごらー、きぃやぁー、あはあ!など語彙の分類では「奇声」にカテゴライズされる言葉が野太い声で聞こえてくるのだ。

日常的に部屋で発せられる言葉ではないことは理解していただけるであろうか。この辺りのアパートには大学生しかいないため、恐らく大学生。大学生とは、あまり聞きなれないかもしれないが、人間のふりをした生き物である。特に夜が深まると獣のように凶暴になるという研究結果が出ている。近寄らないのが無難である。

奇声の主には会ったことがない。しかし声は覚えた。ほぼ毎晩聞こえる。距離があるのに耳が不快を覚えてしまうくらい大きな音が届く。同じ部屋にいたら法を忘れてミンチにしていると思う。

今日は、朝から聞こえた。だから今こうやって綴っている。夜の奇声は日常茶飯事だから許容する。俺もイヤホンで音楽を聴いていることが多いし気にならない、それでも聞こえることはあるが。朝奇声を聞いて不快にならない人は奇声をあげている奴くらいだろう。声だけで、近所迷惑を考えないアホ、テンションの高いアホ、アホであることが分かる。

 

しかし、何故嫌な気持ちになるんだとふと思った。親しい知り合いの奇声はまだ許せる気がする。知っている声は安心して聞ける。今回の場合、顔も知らないし素性も一切知らない。情報を得られる手段は声だけだ。名前を知らない声は不安になるのかもしれない。

それと、冷静に考えてみると、野太い声で叫ぶ彼は奇声のバリエーションが極端に少ない。先に挙げた「ごらー」「きぃやぁー」「あはあ!」の3種類しか耳にしたことがない。飽きるのだ。奇声を止める選択肢がない今、自分を律しストレスを溜めないようにするにはそれを受け流す精神が必要である。だが、3種類の奇声しか聞こえないのは想像以上に疲労する。「またこれか」「おきまりのパターンね」「単調だな」。「でもそれがいい」とAC/DCの如く受け入れられるならいいが、そうはならない。

と書いてる現在でも、「ごらー」が2回俺の部屋まで到着済だ。抑揚もワンパターンで面白みがない。ハッとさせるフレーズが欲しい。もう少しリスナーのことを考えて聞かせる奇声作りをしないと、先細りする未来しか見えない。